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浅野総一郎とは?

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浅野総一郎(1848年4月13日-1930年11月9日)は一代で浅野財閥を築いた日本の実業家です。父親は医者であったが、総一郎は医者を継がず商人を志すと決め父親を落胆させた。後に豪農の娘の婿養子になるが、海産物の運搬事業で失敗し損失を出してしまった。その際、親族は総一郎に商売を止めるよう説得したが、総一郎は諦められず離縁となり実家に戻った。その後、総一郎は上京し、水売りやおでん屋をやったところ思わぬ儲けになり貯金ができた。そこで、当時創業期であった横浜に向かい、竹の皮屋になる。竹の皮屋で販売していたところ、総一郎は父親の友人と偶然に会い、その勧めにより薪炭商になる。そして、コークスやコールタールを横浜ガス局から安値で買い取り、セメント製造の燃料として深川セメント製造所に納めて巨万の富を得た。そして払い下げの深川セメント製造所を浅野が買い取り、後の浅野セメントの基礎になる。

この払い下げには、浅野総一郎の仕事ぶりを見込んだ渋沢栄一の後ろ盾があった。当時はコレラが流行し、コールタールは消毒剤の材料にもなったようで、内務省衛生局に大量に売却して設けたそうである。これが、浅野総一郎の主な生い立ちである。浅野セメントは、後の日本セメント、現在の太平洋セメントになる。浅野総一郎は、渋沢栄一の助言をもとに水力発電所や鉄道建設などの事業を積極的に展開した。後に総一郎は、イギリス、ドイツ、アメリカの港湾開発の発展を目の当たりにし、横浜に帰ると港湾を近代化し日本初の臨海工業地帯を東京から横浜の海岸部に独力で建設することを計画する。そして、この話を聞いた安田財閥が協力に乗り出し計画が動き出す。

浅野総一郎と安田は同じ富山県の出身ということもあり、信頼関係を築き浅野財閥は急速に発展することになった。そのため、浅野総一郎はセメント王や京浜工業地帯の父、日本の臨海工業地帯の父とも呼ばれる。このように、浅野総一郎の経歴を見ると、その後のJFEエンジニアリングや日産自動車の設立にも関わっていることが分かり、まさに日本の事業王とも言える存在だったことが分かります。当時の横浜から川崎の沿岸の埋め立て工事は15年ほど掛かったと言われ、まさに京浜工業地帯の生みの親とも言える人だったことが分かります。現在では、太平洋セメントは日本のセメント事業の中心的な存在になっており、現代においても浅野財閥の影響は絶大と言えます。

これを見ても、日本の15大財閥が日本の経済に多くの影響をもたらしたことは容易に想像できます。浅野と深い親交のあった渋沢栄一は大河ドラマや新1万円札でもよく知られる官僚・実業家です。渋沢栄一ブームが盛り上がることろには、彼と親交のあった浅野総一郎のような人物がクローズアップされるかもしれません。日本の戦後の、本田宗一郎のような伝説的な実業家が揃ったこの時代にはまだまだ隠れたエピソードがあります。韓国と日本を比較すると、韓国はサムスンなどの財閥が多大な影響を持ち韓国のソウルという都市に人口が集中していることがわかります。日本はそれほど国土が広くないとはいえ、韓国よりも財閥の数が多く、東西に分かれて人口が集まるのを見ると、日本の方がリスク分散できる国であることも見えて来ます。

現在、このような状況にあるからこそ、浅野総一郎や渋沢栄一のような英雄的な人物が注目され、社会的にもこのような人物の登場が待たれているような気がしてなりません。過去を見ても、日本は欧米の技術を取り入れながら工業化によって近代化を進めてきた国です。いくら中国や米国が発展しようとも、製造に関する技術のノウハウは現在でも一級品であるのは間違いないところです。しかし、日本は優れた技術があるにも関わらず、それを活かすアイデアが不足しており、海外に特許やアイデアの先を越されてしまうこともしばしばです。2020年8月現在の日本は、2021年の東京オリンピックに向けて羽田空港周辺などの湾岸エリアの再開発が盛んになっています。2022年には、空港内に大規模複合施設もグランドオープンします。近隣の不動産の取引も以前より活発化しており、老朽化したビルの立て替えの話もちらほら聞かれます。まさに、当時の京浜工業地帯のように、今度は5GとIoTを使った新しい街作りが始まろうとしています。

過去の日本の歴史を振り返ることによって、今後の日本の未来を考える手がかりにもなり、有効なことだと思います。浅野総一郎が残したのは数多くの企業や鉄道などで、それらを探してみるのも面白いかもしれません。そして、浅野の末裔も日本にたくさんいると思うと浅野という名字にも興味が湧いてくるものです。当時、天下の浅野氏が工場の視察に来る時には、よれよれの洋服を着ていてお供も一人だったという逸話もあります。このあたりも、戦後の本田宗一郎のよう人物を思い起こさせロマンを感じる。どちらの人物にも共通するのは、一見破天荒な人物にも思えるが、先見の明と行動力は人並み外れたものがあったことが分かります。学歴に拘らず、情熱で突き進む様もまた似ています。結局、日本人の根底に流れているのはこのような働き者の血統なのだと思ってしまう。学者の養老孟司氏が語った日本人感でも、働く事の重要性を述べていたように、無宗教の多い日本人には大切な事柄だと改めて考えさせられました。ぜひ、この記事を参考にさらに浅野総一郎や渋沢栄一などの当時の日本の人物を調べてみる事をおすすめします。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。

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