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Writing Sentences(ものを書くということ)

最近はライターの仕事で収入を得ているので、毎日書いている時間が多い。前に自分でライター初心者のブログを書いて、「書くことなど努力も気合もいらない」みたいなことを書いていたんだけど、最近はどうもそのようになっていなかった。今、すぐに書けない理由は「うまく書いてやろう」とか「もっとすごい文章を書いてやろう」とか「楽しんで書けるだろうか?」なんてことを考えているからだ。よく考えてみればこれは「仕事」ではなくて「趣味」だ。仕事であれば朝予定を決めて、淡々と書けばいいはずなのだから。どこかで、仕事の「やりがい」とか「楽しさ」を求めてしまっている自分がいたようだ。

私の場合の「やりがい」なんていうものは、ビールを飲んでテンションが上がりすぎるのと似たようなものだから、よく考えたらそんな「やりがい」なんてないほうがいいはずなのだ。反対にそのような趣味のような「うまくやりたい」「もっとすごい文章を書きたい」「もっと楽しみたい」と思っているほど、気合や努力のようなものが必要になっていつまでも書き始めることができない。確かにすらすらと書けるときはそんなに気合などいれていないはずだった。そのことに最近になって気づいた。

小説を書いていた時は、自分で公園や美術館や植物園に散歩に行って、そこで感じたことを家で思い出して、頭のなかで映像を順番に思い出して、書いていけばいいだけだった。あとは、適当な登場人物を作り出して、会話のシーンを間に入れたりする。ただ、私はどちらかというと会話のシーンよりも、風景のシーンや登場人物の独白や三人称でその登場人物の内面を書くのが好きだった。現実でも会話はあまり得意ではないし、それほど積極的に会話をしようと思わないので、小説でもそのパターンになる。

私が今やっている仕事は、コンピューターやスマートフォンの文章を書くことなので会話のシーンは不要だ。だけど、私の原稿を受け取ったクライアントはその内容を元に、二人の登場人物が会話をするシーンを作って原稿を完成させている。私はとことんマニアックな技術情報と自分の考察は書けるけれど、そういう二人の登場人物の気軽な会話を書くことができない。それを知って、クライアントが「あなたの書きたいように書いていいですよ」と言ってくれていたが、実は彼にかなりの迷惑をかけていたのだと知った。彼からの完了の報告がいつも遅い理由もそこで分かった。私の方がはるかに難しい内容の文章を書いているんだという自負があったのだけれど、実際に大変なのはそれを編集する彼だったのかもしれない。完全に一人で作業するフリーランス・ライターであっても本当に一人で仕事をしているわけではないと気付いた。今はまだフリーランスを初めて8カ月目だ。

それを少しでも解消するためには、今書いているように、何も考えずに気軽にスラスラと、そして淡々と文章を書き進めることだと思った。その方が自然だし、カッコつけた文章にもならないのだから。このような思い込みは日常の至ることろにある。自分では正しいと思っていても、他人から見るととんだ的外れな言動だったりすわけだ。

思うように書けないという不安も今はどうやら消えたようだ。今月は仕事がもらえるかまだ分からないけれど、とりあえず文章ならいくらでも書けそうな気がしてきた。やはり文章を書くために「努力」も「気合」もどちらも必要のないものだった。



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